究極の選択と、リサイクルで、持続可能な社会を
私は自分の体をドナー提供できる大人になりたい。「リサイクルをしよう」よく聞くフレーズだ。そこで私は究極なリサイクルは何かと考え、自分の中でドナー提供という答えを見つけた。通常、日本なら死体は火葬される。つまり、燃えるわけだ。この時には二酸化炭素が排出される。ならば、できる限り臓器をドナー提供して、二酸化炭素の排出量を抑えれば地球の為にもなるし、提供されたドナーで危ない状況にいる人たちがこの先何十年も生きる事ができるかもしれない。臓器も、第二の人生を歩めて本望だろう。こう考えるとドナー提供は究極のリサイクル、しかも持続可能な社会を作ることができる素晴らしいものだと私は感じる。しかし、実際にドナー提供するのには勇気がいる。自分の歳の分、付き合ってきた自分の体だから名残惜しいものはあり、傷つけられる不安もある。でも、私はそういった最後の選択の時に、他人のためになることを選択できる人になりたい。